下肢静脈瘤について
しかし、機能主義的な都市の理念と人間主義的な都市の理念は必ずしも二項対立的、排他的な関係にあるのではない。
これは、都市におけるハードウェアとソフトウェアの関係にも似ているが、両者を止揚することが必要なのである。
情報における距離概念の喪失は情報社会の一つの大前提であり、情報社会において、「場所」の持つ意味は希薄になり、「場所」は、リアルではない、バーチャルなものになってくる。
情報ネットワークにアクセスさえできれば、自分がどこにいても、電子的に情報交換やコミュニケーションが可能である。
そのとき、「場所」は生活にとって価値中立的な存在になる。
場所はどこでも構わないということは、どこも同じであることとは異なるが、少なくとも、ある「場所」に対するこだわりは低減する。
これが、情報社会における「空間」、あるいは「場所」の概念であろう。
情報社会は、「場所」にこだわらないという特性を持っているために、「場所としての都市」が実体のない、観念上のものとして成り立ちうる。
しかし、人間が実体的な存在である以上、「場所としての都市」もやはり、ある「土地の上に建てられた都市」として実体を持つ必要があるが、人々は「場所」以外の価値基準によって「場所としての都市」を選択することが可能になる。
こうして、情報社会において、都市は選択されうるのである。
これまで述べてきたように、情報社会において、都市が生活者によって選択される対象となれば、都市間の競争が起こってくるにちがいない。
そうなれば、都市生活者が「都市を選択する」際の基準やポイントは何か、何が都市の魅力となり、都市はどのように競うのかといったことが問われるようになるだろう。
これからの日本社会において、選択対象としての都市に求められてくるのは、情報社会の機能を十全に反映した「場所としての都市づくり」である。
ここでは、情報社会における場所としての都市」を「情報生活都市」と呼ぶことにしたい。
いま、われわれには無力感がある。
日本社会は、経済復興、欧米へのキャッチ・アップという社会目標を達成してしまい、もはやモデルとすべきものを失ってしまった。
目標の達成や成果の獲得に遁進していた頃の、ある種の安定感はもはや存在しない。
このような状況の中で、新しい社会の目標が模索されている。
戦後、経済水準の向上や社会資本の整備などにより、日本社会の生活水準は飛躍的に向上した。
しかし、豊かさの実感という点では、まだまだ欧米に比べ見劣りがするだろう。
豊かさが実感できる社会・生活の構築が、日本社会の課題となり、その中心として、魅力的な生活を実現するための「情報生活都市」が考えられよう。
こうした日本社会の新しい目標について手がかりがないわけではない。
「情報生活都市」のビジョンに関しても、いくつかの基本的な合意がすでに形成されているといえるだろう。
「情報生活都市の具体的な設計図はまだ存在しない。
しかしそれぞれの都市においてさまざまな取り組みが進行中で、インフラ整備、都市計画、都市環境づくり、コミュニティ活動、行政、企業活動展開など、あらゆるところにそのヒントが隠されている。
情報社会の本格的な展開に向けて起こってくる都市間競争は「知恵比べーであり、「競争」と同時に、都市間協力・ネットワークが模索されるだろう。
情報ネットワークを中心とした新しい技術発展の方向性や可能性を展望しながら、また、歴史や海外に学びながら、「情報生活都市」は少しずつその姿を現してくるにちがいない。
ワシントン・ポストの記者であり、都市化現象のウォッチャーでもあるJ氏は、近年、アメリカ大都市近郊に「エッジシティ」を発見した。
「エッジシティ」とは、大都市における都心集中のデメリットを回避するために、大都市圏の周辺部に業務・サービス地域が自然発生的に成長し成立した都市の総称である。
ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴなどの大都市ダウンタウンに立地していた企業が郊外部に転出したことを契機に、大都市の郊外に住宅と商業施設、オフィスなども擁した複合的な「都市」が「自然発生的」に生まれたのである。
ギャロウ氏によれば、全米の「エッジシティ」は百数十を数えるという。
日本にも、エッジシティに似た都市ネットワークの構造図がある。
多極分散型国土形成促進法に基づいて平成元年に策定された「業務核都市基本方針」によれば、「一極依存構造」から「多核多圏域型構造」への転換として、業務核都市が構想されている。
しかし、日本では、あくまでも官主導・誘導型の都市計画である点が根本的に異なっている。
経済社会の変化や、人々の価値観・ライフスタイルの変化に応じて、居住形態や雇用形態などの社会システムの転換が試みられつつある。
例えば、在宅勤務である。
これは基本的には、情報ネットワークを活用し、自宅で仕事を行うという勤務形態である。
アメリカでは「テレ・コミューティング」と呼ばれ、ホワイトカラーをはじめ、単純事務処理などの分野で千数百万人がさまざまな在宅勤務形態をとっているといわれる。
また、「マルチ・ハピテーション」といわれる居住形態が提唱され、実践されつつある。
これは、貴族主義的な「別宅・別荘」という発想ではなく、人生の場面に応じて、複数の拠点を縦横に組み合わせ、生活を展開するというものである。
近年、都市をめぐる議論の中、「アメニティ」という言葉をよく耳にする。
アメニティは「環境の快適性」「快適な環境」「生活の質」などと訳されるが、ハードとソフトの両面にまたがる内容を持った言葉であり、ハード面では、建築物の外観、街路樹、公園、ストリート・ファニチャーが進展した。
そして、ここでの都市化とは、無名性と核家族化に象徴される地縁・血縁の希薄化によって、都市におけるコミュニティが崩壊していく過程であったといえるだろう。
ところで、都市コミュニティがなぜ今求められるのか。
それは、都市におけるコミュニティ崩壊の過程で、都市の無名性と引き換えに都市の無個性化が進展したことに対する反省からであろう。
その無名性のゆえに、都市では、本来コミュニティが持っていた防犯・防災、美観の保全など、さまざまな自律的な機能を消失することになった。
そのため、行政に依存する面が拡大し、結果として、コミュニティは没個性化した。
無名性はまた、無責任にも通じる。
生活をめぐる騒音、ごみなどのいわゆる生活公害は、無責任の象徴である。
都市のさまざまな問題を解決するための鍵は、住民の積極的な参加・関与であるといわれるが、そのためにはまず、コミュニティの再生が必要になるだろう。
都市化の進展にともなって、コミュニティの重要性が再認識されている。
アメリカにおける都市の荒廃は、いまや深刻な問題である。
政治学者であるE教授は、「今後のアメリカの都市再興の鍵を握るのはコミュニティであり、コミユニタリアン意識である」としている。
新しい都市コミュニティは、従来の農村型コミュニティが有していた、自律的な機能を持つものとなるだろう。
そして、E教授が指摘するように、コミュニティを再生させるのは、権利意識と義務意識をしっかりと持ち、自ら行動することのできる「コミュニタリアン」たちであろう。
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